膚の下 感想(ネタバレ含)

膚(はだえ)の下

膚(はだえ)の下

さて,火星三部作の最終編.人間-アートルーパ-機械人の群像劇の最終章である.
この三部作の面白さは,というよりも神林作品の面白さというのは,「変化」を通して人間の精神を明らかにしてい所にあると思う.例えば,物語の主軸の置き方だ.「あなたの魂に安らぎあれ」では,人間-アートルーパという関係性に重きが置かれているが,「帝王の殻」では同じ人間の中でも地球人-火星人の関係に主眼が置かれ,今作品では地球人-アートルーパ-機械人という関係性に注目している.面白いのは段階的に地球人というものが分かってくる点だろう.


「あなたの魂に安らぎあれ」では,ぶっちゃけ地球人というものについては何も分からない.それどころか,自分たちの計画のために登場人物達を利用しているだけであり,実に身勝手な存在として描かれている.当然彼らの内面は描かれず,読者にとって彼らはまるで神話の世界の神のようなものでしかない.生身としての人間は全く見えず,彼が何を考えその強大な力を振るおうとしているのかが,さっぱり分からない.「帝王の殻」では,交渉相手としての火星人の内面が描かれる.ここでも地球人は非常に影響力を持った存在として描かれているが,その意識は描かれず,強力な舞台装置か何かのようなものでしかない.そして,本作品でようやく地球人が何を考え,何を感じながら火星三部作の舞台を整えていったかが明らかになる.


「膚の下」は,慧慈という名のアートルーパ(人造人間と思ってもらって構わない)の成長によって描かれる.物語のスタート時点で慧慈は,生まれてからたったの5年しか経っていない.知識はあるが感情が十分に育っていない未熟な人間として描かれる.自分の存在を実感として捉えることができず,自分を自分として認められないでいる.彼が様々な体験を通して成長し,「大人」へと「変化」していくことこそが本作品のテーマだと言って良いだろう.


「あなたを救うのはあなた自身なのだ,シャンエ」


自立するということは,子供から大人へと変わっていく,後から思えば一瞬だが,果てしのない不可逆的な変化だ.自立している人間は,誰の庇護を受ける訳にも行かない.人生は闘いであり,戦うことでしか人は何かを得られない.「自分の幸運は自分で祈るしかない」世界だが,そこでしか人は何かを得られないのだ.そのような世界に立たされ,慧慈はしかし,何かを見つけていく.自分のエゴでしかないのかも知れないが,自分の行いたい事,そして自分自身への誇りを見つけて行くその過程は誰しもが通らざるを得ない道だろう.人生は闘いだと気付いた慧慈が,それでも
「生きるというのは,闘いだ.だれもそれからは逃れられない.闘いの相手は,他人のだれでもない.自分自身だ.あなたには,負けてもらいたくない」
と語りかけるようになるまでの過程は涙なしでは読めないだろう.子供から大人への成長物語として,根本的に貫かれたこの物語は非常に面白いものであったと思う.

さてここから先は,この本とは関係のない余談となる.

物語の重層性というのが神林作品の,また別の魅力であると思う.「膚の下」の中でも「祈りというものは,あるいは自分自身へと働きかける,自分が意識することのできない力へするものなのかも知れない」と神林は指摘している.我々は人間と人間の関係性の中でしか生きられず,人間全員が交わす全てのコミュニケーションを知ることは不可能だ.その事が,時として自分の予想もしなかった方向へ事態を動かすこともあり,その因果を自分たちは知る事ができない.神林は,この関係性を示唆することが非常に上手いと思う.登場人物の意識の外で動く世界というものをはっきりと意識しているし,我々はそういう世界でしか生きられない.

このようなある種の偶然が支配する世界での「変化」,特に子供から大人への「変化」ということを神林は繰り返し書いている.「七胴落とし」はこの本自体がそれをテーマとして書かれているし,「猶予の月」では,無垢な神々だった登場人物が,感情を持つ人間となった時,それでも神に戻らず人として不完全な人間を愛さずには居られなくなったと言うシーンがある.神林作品で,「大人になった」人間はとんでもなくタフで,人間臭くて,そして非常に魅力的だ.

18歳の頃の自分は,とんでも無く弱かった.何にも向き合わず,そのために傷つくこともなく,まだまだガキだったのだろうと思う.その頃に,この作品を読んでもあまり心に響かなかったかも知れない.傷つくことを経験し,泥臭い人間的な感情を体験した後だからこそ,慧慈たちの成長に共感を覚えたのかもしれない.